まず最初にこれを紹介します。賛同できる方、どんどん署名し、拡散して下さい。
この署名に絡めて話を進めていきます。さて、夜回り先生の精神医療に対する意見について、精神医療関係者やその追従者、信奉者からの反応が止みません。よほど核心を突いてしまったのでしょう。出てくるのはいつもの反応です。「精神医療によって救われている人もいる」「良心的な精神科医もいる」「大多数の精神科医はまともな診療をしている」「真面目に取り組む精神医療従事者に対する冒涜だ」「ごく一部の極端な例ばかり取り上げるのはアンフェア」・・・
論点が完全にずれています。
水谷氏が投げかけているは「精神医療には効果があるかどうか」「精神医療は人を救うかどうか」というレベルの議論以前の話なのです。医療に名を借りた精神科医の暴走(殺人・人権侵害)を止められるかどうかという話をしているのです。
水谷氏批判でもっとも滑稽だったのは、ある医師(精神科医ではないが、おそらく医療を否定されたと思って反応したと思われる)のこのような批判でした。「『夜回り先生』がされてきた数々の悔しい思いを、多くの医師も少なからずしているはずだという想像力くらいは持って下さるとありがたいです。受け持ち患者が突然亡くなって、悔しくない医者がどこにいますでしょうか?」
何か全く違う物を見ているようです。精神科医が最善を尽くし、それでも命が失われているというのなら、水谷氏もここまで怒らないでしょう。彼は、患者を死なせても何も感じないような精神科医を相手にしているのです。悔しがることができるような医師なら決してしないようなずさんな投薬によって子どもの命が失われ、水谷氏はそれを見てきたのです。
精神科医は悲しむふり、反省するふり、悔しがるふりをすることはできますが、普段の診察や投薬を見れば、それが本心なのか表面的なものなのかすぐにわかります。子どもに対し、何のインフォームドコンセントもせず、何種類もの向精神薬を処方しておきながら、その子どもが死亡したら悔しがるというのはおかしな話です。
そして、良心的な精神科医がいる、真面目な精神科医がいる、というのは問題の本質でもなければ、何の解決にもならない話なのです。良心的な精神科医がいたところで、真面目に診療をこなしている精神科医がいたところで、多数の精神科医(※この「多数」という表現については後述)の暴走が食い止められていないのです。
本当に良心的な精神科医というものがこの世に存在するとしたら、国民のメンタルヘルスを最も破壊的な形で蝕んでいる同胞たちの犯罪的行為に寛容でいられるはずがありません。少なくとも、彼らのところには、他の精神科医によって壊された患者が少なからず来ているはずです。それに対して何も声を上げず、行動を起こさず、保険診療システムのせいにして愚痴をこぼしているだけの精神科医は良心的とは言いません。
もしも、99%の精神科医がまともな診療を行い、1%のみがとんでもない診療をして問題を引き起こしているとしたら、なるほど水谷氏の意見は極端であり、それに反論している人々の方の理が通っているように見えます。
しかし、まともな診療をしている精神科医がどこに存在するのでしょうか?
薬物療法の是非やDSM(アメリカ精神医学会が作成した、精神障害の診断基準となるマニュアル)の是非はここでおいておきます。それらに頼ること自体がまともではない、という議論になるよりはるかに下のレベルの話をします。そもそも、日本の精神科医はDSMを「正しく」使用しているのですか?薬を「正しく」使っているのですか?
DSMの注意を隅から隅まで読めば、チェックリストを機械的に用いてレッテルを貼るのは本来の使用法ではないことがわかります。Mental Disorderという概念自体のあいまいさや危うさにも言及されています。多軸的に評価することで、安易に診断を付けることがないよう、除外診断も重要視されています。
実際はどうでしょうか?DSM-IVの編纂責任者であったアレン・フランセス自身が、DSMが単に投薬を正当化するために乱用されている実態を認めています。DSMはDSMなりにルールを定めたのですが、それすらも完全に無視されているのです。
向精神薬処方はもっとひどい有様です。薬の説明書にあたる医薬品添付文書の注意など守られていません。重要な基本的注意や警告すら無視されています。そもそも、向精神薬は原則単剤によって有効性・安全性がテストされ、認可されたものです。何種類もの薬を組み合わせて使用するという想定で用量が決められたものではありません。
2剤という組み合わせならともかく、3剤以上の組み合わせなど、何が起きるのか誰もわかりません。責任もとれません。有効性はもちろん、安全性など確かめられていません。統合失調症入院患者に対する抗精神病薬処方は、エビデンスもない3剤以上処方が42%という惨状が最近明らかになったばかりです。半数近くとなれば、もう少数ではありません。多数であり、ごく一部の極端な例でもありません。同種の薬ですらこれなので、カクテル処方など文字通り無法地帯であり、その投薬の正当性を科学的、薬理学的観点から評価し、制限する仕組みは一切存在しません。
仮にそのようなエビデンスのない投薬が正当化されるというなら、しっかりとインフォームドコンセントがされることが最低条件になります。そんなことをしている精神科医がどれだけいるのですか?
以下の「当たり前」のことをこなして初めて「まともな診療」と言えます
・診療にあたっては徹底的に除外診断し、精神疾患ではないあらゆる可能性を調べる
・一時的な落ち込みや混乱、喪失体験や被災に伴う悲嘆などの正常な反応を安易に精神疾患としない
・無理やり精神科に連れて来られたことに対する抵抗(当たり前の反応)を、一方的に病識なし、被害妄想ありなどと判定しない
・薬の副作用(本当は作用)が引き起こす精神症状を精神疾患と誤って判断せず、正しく薬の影響であると判定する
・治療を開始する前に、本人及び必要なら家族に対してインフォームドコンセントを徹底する。そこには、薬物療法の「本当の」デメリットや薬物療法以外の選択肢に関する情報も含め、患者側に決定させる
・薬物療法を行うなら、医薬品添付文書に書かれた注意を遵守する(例えば抗うつ薬の場合、家族に対して自殺等を引き起こす危険性について説明するよう書かれている)
・薬は基本単剤使用。薬はあくまで症状を押さえるという認識の下、短期使用にとどめる
※これらは別に高い要求をしているものでは決してありません。ごくごく基本的な、当たり前のことです
しかし、このような当たり前のことをちゃんと出来ている精神科医はどれくらいいるでしょうか?1%どころか、都市伝説級にまれでしょう。こうなると「良心的な精神科医」「まともな精神科医」という存在こそが、「ごく一部の極端な例」になってきます。
冒頭で紹介した要望は、ごく基本の当り前のことを要求しています。情けないことに、問題が基本以前の話だからです。レストランの食事がうまいかまずいか議論するというレベルではなく、従業員に手を洗えと要求するようなものです。ほとんどの従業員が手を洗わず、しかもそれを注意されても全く改善する様子がなく、食中毒が多発しているという店があったらどうしますか?良心的な店員もいるという主張は的外れであり、まずは営業停止や閉店が当たり前かと思います。