メンタルヘルスの全ての問題の根源は以下から成り立ちます
①できないことをできると精神科医が主張する
②その偽りの権威に対して政府が権限を与える
③偽りの権威に対して世間が信頼を寄せる
単にこれだけのことなのです。そして、全ての発端は①なのです。精神科医ができないことをできると主張したことが全ての始まりです。
彼らは、精神病を治せると主張しました。自殺を予防できると主張しました。そして見事にその権威となり、権限を与えられました。
しかし、彼らはいざ責任を取らされる立場に立たされるとこのように主張します。「我々ばかりに責任が押し付けられるのはおかしい」「我々にそのようなことを期待されても無理だ」「これは非常に難しい問題なのです」・・・そうです。彼らは権限だけは保持しながら、責任は取らないのです。
それならば、どんどんそのように言わせましょう。できないことはできないと言わせましょう。そして、その実際の能力と責任に応じた権限しか与えないようにすればよいのです。
今回発覚した強制入院のケースはその典型です。保護者の狂言があれば、正しく医療保護入院を判定することなど不可能ですよね?本人を診たからと言って、その人の主張が妄想なのか真実なのか確かめることは不可能ですよね?連れてきた人物が連れてこられた人と対立関係にあって保護者の要件を満たさないなど確認取りようがないですよね?ましてや、来年度から法改正で家庭裁判所の選任がなくなるので、その人が保護者の要件を満たすのか確かめるなど不可能ですよね?
不可能ならそうだと言わせましょう。さもなければ、全ての責任が精神保健指定医にふりかかります。人をその意思に反して拘束できる権限はあまりにも強大であり、それくらいの責任が伴ってしかるはずです。できないなら、その特権が剥奪されるべきです。
もう一度、DSM-IVの編纂責任者であったアレン・フランセスの言葉を引用しておきます。「精神科の診断を、法医学的判断、障害判断、学校の判断、養子縁組の判断などから切り離すべきだと思います。精神科の診断は意思決定の一部であるべきであって、唯一の決定要因ではありません」
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=66961
精神科医の意見・判定が絶対視される時代は終わりました。彼らの判定が唯一の根拠となり、それによって人の権利を制限・剥奪するような医療・福祉・司法制度を全てなくしましょう。
①できないことをできると精神科医が主張する
②その偽りの権威に対して政府が権限を与える
③偽りの権威に対して世間が信頼を寄せる
単にこれだけのことなのです。そして、全ての発端は①なのです。精神科医ができないことをできると主張したことが全ての始まりです。
彼らは、精神病を治せると主張しました。自殺を予防できると主張しました。そして見事にその権威となり、権限を与えられました。
しかし、彼らはいざ責任を取らされる立場に立たされるとこのように主張します。「我々ばかりに責任が押し付けられるのはおかしい」「我々にそのようなことを期待されても無理だ」「これは非常に難しい問題なのです」・・・そうです。彼らは権限だけは保持しながら、責任は取らないのです。
それならば、どんどんそのように言わせましょう。できないことはできないと言わせましょう。そして、その実際の能力と責任に応じた権限しか与えないようにすればよいのです。
今回発覚した強制入院のケースはその典型です。保護者の狂言があれば、正しく医療保護入院を判定することなど不可能ですよね?本人を診たからと言って、その人の主張が妄想なのか真実なのか確かめることは不可能ですよね?連れてきた人物が連れてこられた人と対立関係にあって保護者の要件を満たさないなど確認取りようがないですよね?ましてや、来年度から法改正で家庭裁判所の選任がなくなるので、その人が保護者の要件を満たすのか確かめるなど不可能ですよね?
不可能ならそうだと言わせましょう。さもなければ、全ての責任が精神保健指定医にふりかかります。人をその意思に反して拘束できる権限はあまりにも強大であり、それくらいの責任が伴ってしかるはずです。できないなら、その特権が剥奪されるべきです。
もう一度、DSM-IVの編纂責任者であったアレン・フランセスの言葉を引用しておきます。「精神科の診断を、法医学的判断、障害判断、学校の判断、養子縁組の判断などから切り離すべきだと思います。精神科の診断は意思決定の一部であるべきであって、唯一の決定要因ではありません」
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=66961
精神科医の意見・判定が絶対視される時代は終わりました。彼らの判定が唯一の根拠となり、それによって人の権利を制限・剥奪するような医療・福祉・司法制度を全てなくしましょう。