学校でのいじめの構図と、社会における精神医療被害の構図は一緒です。
こんなことを言うと、また「極端だ」「論理の飛躍だ」などと批判されると思いますが、とりあえず読んでみて下さい。
いじめを構成する要素は以下の通りです
狡猾な主犯格:人を評価し、誰がいじめられるべきかの基準を作る。自分が積極的に手を下すこともあるが、それよりも他人にやらせるタイプ。いじめを引き起こし、さらにそれを広げる。依頼者が存在する場合もある。
依頼者:個人的な感情や利益のために主犯格に特定の人物に対するいじめを依頼する。
実行犯:主犯格に煽られ、被害者に対して積極的に物理的危害を加える。
とりまき:実行犯に追従し、一緒になって危害を加える。
加担者:皆がやっているからという理由で精神的な危害(陰口、無視など)を加える。
消極的加担者:主犯格や実行犯グループに逆らえないため、仕方なく被害者を無視する。
傍観者:いじめが起きていることは知っているが、それについて何もしない。
被害者:本人に落ち度があるなしにかかわらず、主犯格の気に障ったことでいじめられる。
これを精神医療被害に置き換えるとよくわかるかと思います。
まず、特定の精神科医が、何が正常で何が異常であるかを「主観」によって決めます。これが主犯格です。製薬会社はそのような精神科医に乗っかり、金銭的な取り引きをして「異常」の枠を引き上げてもらい、そこから利益を得ます。
いったん何が異常であるかが決まると、臨床現場の精神科医が積極的に診断・投薬をして患者を廃人にしていきます。いわば彼らが実行犯です。彼らはどんどんエスカレートしていきます。過剰診断や多剤大量処方は当たり前となります。違法拘束や虐待も普通のことだという感覚となります。医師以外の精神医療従事者は、それを止めるどころか追従します。
精神科医につなげるという役目を担う人は、いわゆる加担者です。スクールカウンセラー、保健師、ゲートキーパー、自殺対策担当課、一般開業医らは、単に皆がそうしているという理由で精神科につなげます。そこに罪悪感はありません。
精神科につなげることはまずいと理解している人もいます。それでも、職業上やらないといけない人もいます。周囲のプレッシャーに耐えきれずに子どもに精神科を受診させる親もいます。
傍観者は知っていて何もしません。自分には関係ないという態度でこの問題を避けます。当事者であるのに当事者でないふりをします。
いじめは、傍観者まで含めて共犯です。何か行動を起こすと自分の身が安全でなくなると考えるかもしれません。しかし、積極的にいじめをなくそうと声を上げるまでしなくても、自分が目にした不適切な状況について、教師に相談するなどしたら未然に悲劇が防げるかもしれません。誰も何もしなければ、そこから事態が好転することなどあり得ません。
いじめも精神医療も、誰かが根拠なく定めた「基準」を採用し、それによって誰かに危害を加えることを正当化するという構図は一緒です。正当な理由なく他人の人権を剥奪できるような権利を持つ人などいません。しかし、あたかもそのような権利があるかのようにふるまうのがいじめ主犯であり、精神科医なのです。
精神科医が人に病名をつける唯一の根拠は、主犯格の精神科医が主観的に定めた基準です。しかもその基準を客観的に使うのではなく、主観的に使用するのです。極端な話、「あなたは○○病です」という言葉は「あいつムカつくから仲間外れな」というのと変わらないということです。
こんなことを言うと、また「極端だ」「論理の飛躍だ」などと批判されると思いますが、とりあえず読んでみて下さい。
いじめを構成する要素は以下の通りです
狡猾な主犯格:人を評価し、誰がいじめられるべきかの基準を作る。自分が積極的に手を下すこともあるが、それよりも他人にやらせるタイプ。いじめを引き起こし、さらにそれを広げる。依頼者が存在する場合もある。
依頼者:個人的な感情や利益のために主犯格に特定の人物に対するいじめを依頼する。
実行犯:主犯格に煽られ、被害者に対して積極的に物理的危害を加える。
とりまき:実行犯に追従し、一緒になって危害を加える。
加担者:皆がやっているからという理由で精神的な危害(陰口、無視など)を加える。
消極的加担者:主犯格や実行犯グループに逆らえないため、仕方なく被害者を無視する。
傍観者:いじめが起きていることは知っているが、それについて何もしない。
被害者:本人に落ち度があるなしにかかわらず、主犯格の気に障ったことでいじめられる。
これを精神医療被害に置き換えるとよくわかるかと思います。
まず、特定の精神科医が、何が正常で何が異常であるかを「主観」によって決めます。これが主犯格です。製薬会社はそのような精神科医に乗っかり、金銭的な取り引きをして「異常」の枠を引き上げてもらい、そこから利益を得ます。
いったん何が異常であるかが決まると、臨床現場の精神科医が積極的に診断・投薬をして患者を廃人にしていきます。いわば彼らが実行犯です。彼らはどんどんエスカレートしていきます。過剰診断や多剤大量処方は当たり前となります。違法拘束や虐待も普通のことだという感覚となります。医師以外の精神医療従事者は、それを止めるどころか追従します。
精神科医につなげるという役目を担う人は、いわゆる加担者です。スクールカウンセラー、保健師、ゲートキーパー、自殺対策担当課、一般開業医らは、単に皆がそうしているという理由で精神科につなげます。そこに罪悪感はありません。
精神科につなげることはまずいと理解している人もいます。それでも、職業上やらないといけない人もいます。周囲のプレッシャーに耐えきれずに子どもに精神科を受診させる親もいます。
傍観者は知っていて何もしません。自分には関係ないという態度でこの問題を避けます。当事者であるのに当事者でないふりをします。
いじめは、傍観者まで含めて共犯です。何か行動を起こすと自分の身が安全でなくなると考えるかもしれません。しかし、積極的にいじめをなくそうと声を上げるまでしなくても、自分が目にした不適切な状況について、教師に相談するなどしたら未然に悲劇が防げるかもしれません。誰も何もしなければ、そこから事態が好転することなどあり得ません。
いじめも精神医療も、誰かが根拠なく定めた「基準」を採用し、それによって誰かに危害を加えることを正当化するという構図は一緒です。正当な理由なく他人の人権を剥奪できるような権利を持つ人などいません。しかし、あたかもそのような権利があるかのようにふるまうのがいじめ主犯であり、精神科医なのです。
精神科医が人に病名をつける唯一の根拠は、主犯格の精神科医が主観的に定めた基準です。しかもその基準を客観的に使うのではなく、主観的に使用するのです。極端な話、「あなたは○○病です」という言葉は「あいつムカつくから仲間外れな」というのと変わらないということです。